江戸時代、信濃の国上田の城下には原町、海野町という町人町があり、その問屋が交代で傳馬役をつとめていた。行政の仲介役としての問屋瀧澤助右衞門家が、寛文三年(一六六三)から明治二年(一八六九)にかけての二百年にわたり、綿綿と書きつづけた日記が、これから御紹介しようとする所謂「原町問屋日記」である。
時は幕末から明治維新にかけてをとりあげる。大政奉還が行われ、江戸が東京と改められて都となる激動の時期であり、諸藩と共に上田藩が版籍奉還したことで、この日記は終る。
北国街道沿いののどかな城下町上田で時代はどう動いてゆくのだろうか。
どうしても讀めない文字は※印としました。
物静かに致し、火の元、別して入念に致すべく候、且つ御陣所前をみだりに
通行致さざる樣、召仕への者に至るまできつと申し付くべく候
右の趣、町中一統相心得申すべき事
正月
廿八日 天気
一 今日八ッ時、仰せ達っせられ候御用の儀これ有る間、両問屋ならびに町年寄
頭取罷り出候様、昨日、御達
右につき助右衛門、太左衛門、民之助、罷り出候ところ、在中割番同様
罷出、御座敷にて、町郡御奉行様、御勘定御奉行様御帳元
御立会、町郡御手代中
北嶋市之丞様、仰せ渡され候
当今、容易ならざる御時勢に相成り、多分の御物入、さりながら是まで調達、
度々仰付つけられ置き候へば、幾重にも下方へ御頼み成られず、御取消
成られたき思召に候へども、御手段尽き果て、よんどころなく頼み入り候旨、御沙汰